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自分で道を拓く


★「35キロのザックを背負った僕がラッセルして、サブザックの人たちがぞろぞろついてくる様は妙な光景だ」志水哲也著

「 今日は仙丈ヶ岳を越える。
スケールのある南アルプスの山のなかでも、仙丈ヶ岳はひときわその大きさを誇り、南アルプスの女王と呼ばれている。
三つののびやかな山稜と山頂付近のカール群は、この山を特徴ある重厚な姿にしている。
樹林帯ではトレールがあったが、森林限界より上は膝下までのラッセルだ。
後にサブザックの連中が2パーティーついてくるが、僕が休んでも常に後にいて、ラッセルを交代してくれない。
35キロのザックを背負った僕がラッセルして、サブザックの人たちがぞろぞろついてくる様は妙な光景だ。」

「大いなる山 大いなる谷」 志水哲也著  1992年 白山書房 

★よくある光景

こうした ラッセルの 礼も言わず 当然のように ついてくるの登山者を 「 ラッセル泥棒 」と山岳用語で呼んでいます。
勿論 こうした行為は フェアプレーの精神でないことは 明白で 、スポーツマンシップに劣る行為とされ 、心ある山岳関係者からは 昔から「極めて 不誠実な行為として」厳しく 非難されてきました。

志水哲也氏が 単独 冬季南アルプス全山縦走を なされた1989-1990年当時でさえでさえ こうした不心得な登山者に 悩まされていたのですが、最近では どこの山域でも こうした 他人のラッセルを 前提にした 登山者が 相変わらず いるどころか、  ラッセル無しが当然のように ふるまう登山者が急増し、 トラブルの 基になるのです。

かつては 積雪期に 山へはいるのは ごく限られた 山岳愛好家などで 多くは 組織化された 山岳会 山岳部などが中心でした。 組織登山者では 古来常識的なラッセルについてのマナーができていたのでしょうが、その後 未組織登山者が 急増して マナー違反が当たり前になり 当然 トレースはあるものだと 考えるようになった ところに 更に 特定の雪山でアプローチの楽な 人気のルートに 人々が集中するのが 根本的な問題であると 思います。

人の多い 山域では 自分でラッセルすることもなくなってきて、 初めから トレースはあるのが 当然といった 登山者が 増えているのが 実際の 現状かもしれません。

こうした ラッセルのない 雪山を 経験していると 降雪直後とか ドカ雪とか 思いがけない 気象変化に出会ったりすると 今までの 雪山体験が ラッセル無しを前提にした 実に軽薄な 登山経験だと 感じることとなります。

雪山では 思いがけないことがあると 思って どんなラッセルに出会っても 大丈夫なようにしておくべきでしょう。 

もし 先頭に立ってラッセルする 自信も力がない場合は ラッセルの礼を言うなどは マナーの常識問題であるとおもいます。

更に もし 不幸にして マナーに反する行為に出くわしたら 大きく息を吸って「あいつは 俺のために わざわざ ラッセルの順番を 俺に譲ってくれた」 と感謝の気持ちを もつことで 人間的に 一回り大きくなるのです。

★「人のあとについて行くのは易しいが、自分で道を切り開いて行くには努力がいる。」深田久弥著

「人の真似をしないというのは、何でもないことのようだが、実行はむずかしい。流行は真似によって成り立つ。人々が真似をしなくなったら、商人は泣くだろう。 それにしても 商人の作り出す流行に、人々がバタバタとやられていくさまはあまりにも不甲斐ない。 もう少し抵抗があったもよさそうなものだ。 登山も同様である。服装、持参品、登りかたやハッスルの仕方まで、みな見本がある。流行の山ができて、みんなそこへ押し寄せる。

人のあとについて行くのは易しいが、自分で道を切り開いて行くには努力がいる。真似によらず、独創的な山登りをする人が少なくなった。」

 「山岳遍歴」 深田久弥著

★今日の著名山ブーム

深田久弥氏は その当時 人の真似をしないということで 自らの長い登山経験を元に 還暦の年になって 「日本百名山」 を上梓された。

それが 今日の爆発的な著名山ブームに結びつくというのは  「いかに 人のあとについて行くのは 誠に 易しいことであり 人々が 商人の作り出す流行に バタバタとやられていくさま」 ということになるのだろうか。

今日の状況を もし故深田氏がみれば 「あまりに 不甲斐ない」 と さぞ  嘆くことかも?  

★「 百を選ぶ以上、その数倍の山に登ってみなければならない 」 深田久弥著

「わが国のめぼしい山にすべて登り、その中から百名山を選んでみようと思いついたのは、戦争前のことであった。その頃ある雑誌に 「日本百名山」と題して二十五座ぐらいまで連載したが、雑誌が廃刊になったのでそれきりでやんだ。しかし私は山に関しては執念深いから、戦後再び志を継いで、還暦の年にそれを完成した。

本書にあげた百の名山は、私は全部その頂に立った。百を選ぶ以上、その数倍の山に登ってみなければならない。どのくらいの数の山に登ったか数えてみたことはないが、私の山登りは少年時代に始まって今日に至るまで殆ど絶えたことがないから、多くの山を知っている点では自信がある。」

「日本百名山」 深田久弥著

★百の数倍

今日、 百名山を 登る人で その数倍の山を 登っている方は はたして どれだけいるのだろうか?

確かに 二百名山 三百名山 は選定されている。それらも 完登されていられる方も いられる。

しかし 深田氏は 数百の 名山 または 無名山の 長い登山経験を経て その中から百を厳選し 選定するのに還暦までの労力をかけたのである。

それに比べ 今日 数多く氾濫している 「百名山ガイドブック」の情報を元に、 全く 決まった百のルート図で その多くは最短コースで 車や交通機関を駆使し、 林道終点などの登山口までいき そこからコースを少し歩き 名山の頂上だけ 踏んでいく 今日の いわゆる 百名山 巡りは あまりに 簡単に 登ってしまうもので、深田氏が登られた頃とは 格段に発達した交通手段などの条件が違いすぎる。

選定した当時と 現在では 著名山をとりまく環境は 大きく変わったと 思わざるをえないのです。

★著名山巡りなど、 人の登りかたを とやかく批評して言うよりも、人それぞれの山行スタイルがある

名山しか興味がないのならそれでよし。

低山でも、気に入ればそれでよし。

3000mの高い山ばかりの趣味なら それもよし。

藪の山が好きな人もいるし、岩山、雪山が好きな人もいる。

植物へ興味が深いのなら、それに応じた 山行になるし、
沢筋とか谷間に関心があるのなら、そこを中心に展開すればよし。

里山に興味がある場合もある。

山を対象にする趣味は、とても幅広く それぞれが 奥深いものです。そう簡単には 奥まで 突き詰めることなど出来るものではありません。

趣味は 人それぞれに、興味と趣向が、変わっているのが本当で、人様のスタイルを無理に真似たり、強制されていくものではないのです。

趣味は 人それぞれに  極め方があるもの。好みで、それぞれの趣向を凝らせばいいものです。

同じ山でも 人それぞれ登りかたがあり、この山はこうやって登らなければいけないと行ったことはを、強要するべきものではないのです。

また 人様の流儀を無理矢理に真似る必要もないのです。

遭難して 人様に迷惑かけたりせずに 済むようにすれば それぞれ独自の スタイルであれば それはそれで いいのです。

今日 隆盛している 著名山巡りなど、 人の登りかたを とやかく批評して言うよりも、 他人は こう登っているが 自分は こう登っていると 信念をもって山に取り組めば それでよいのでしょう。

★道程

僕の前に道はない
僕の後に道は出来る
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高村光太郎 『道程』

2005年7月18日 第1版制作

http://www.lnt.org/

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