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ダウラギリ2007秋


平成19年徳島ダウラギリ主峰登山隊


2007年秋 ダウラギリ

徳島ダウラギリ主峰 登山隊の皆様 

徳島ダウラギリ主峰登山隊2007

山遊なかよしカタツムリ


現地での直接 天候 雪質 体調 その他総合判断こそ
 皆様 考え抜いた末の ご決断と思います。
外野席の私など 皆様の ご英断に 敬服する次第です。

今回は さぞ 悔しい思いでしょうが 
全員 無事無傷で帰国がなによりです。

また いずれ なんらかのチャンスも巡ってくることを 
こころより祈念申し上げます。

ところで 『生きた 還った』
メスナー著 横川文雄訳 1987年 東京新聞発行
のダウラギリの部分を読み返してみました。

メスナーも 3度目の正直で登頂でした。
天候だけは いかんせん どうしようもないものがあるのでしょう。

「この山では しばしば荒天が襲来するので、とくに危険な山とされている。」

こうした悪天と戦いながらも
ダウラギリでは 何隊かが最後まで頂上への試みましたが、今秋の状況はとても厳しかったようです。

DODO KOPOLD 、 HONG BIN, KIMFredrik Ericsson 
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2007年秋 ダウラギリ(8167m) 

注目のスロバキア登山家 DODO KOPOLD (1980年生まれ)
障害を克服し活躍する韓国 登山家 キム ホング ビン
ダウラギリ山頂から初のスキーの滑降を目指す。
Fredrik Ericsson スウェーデン スキーヤー

彼らは 2007年10月14日 ダウラギリ山頂アタック 。
「ポールがあって、より高いものは何もなかったように思えた場所で、 私はポールの写真を撮りました。」

DODO KOPOLD 、
HONG BIN, KIM 、
Fredrik Ericsson 
結局 皆 BCまで 一応 無事戻ったようだが
完全に 登頂成功したかどうか 現時点ではよくわかりません。

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10月17日時点では
DODO KOPOLD 、HONG BIN, KIM 、登頂したかどうか
更にFredrik Ericssonだけが登頂成功したかどうかなど よくわかりません。

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結局 山頂手前の 偽ピークまで到達したようでした。
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 イタリア人ロマーノ・ベネトとニヴェス・メロアは2005年5月 の「登頂?」のあと、 2006年に再登し完登 した。


2007年 春 、2006年 春






K2climb netによると 2007秋のヒマラヤは天候が悪く
http://www.k2climb.net/news.php?id=16609
「埋まる! こんな顕著な秋の季節が、ヒマラヤにありましたか? 雪の負荷と荷
重はチョーオユー以外のすべてのサミットの試みをオミットしました。 シシ
ャパンマ中央峰でさえ到達することができませんでした。そして、10月15日(日曜日)に、
ニベスとロマーノがまた、マカルーで彼らの山頂へのプッシュを中止しなけれ
ばならなかったというメッセージが到着しました。 それをもって、すべての
目がダウラギリに集まりましたが、KingaとDodoは8157mに達した後に退却し
なければならなかったと報告されています。」

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DODO KOPOLD

● DODO KOPOLD 
(注目の人)
(1980年生まれ)スロバキア

2007年春から 8000mのダブルヘッダーを二つ 計4峰トライしている。

うちCho Oyu, Shisha Pangma と Nanga Parbatは登頂済み。
(K2は登れなかったが 驚異的なスピードでボトルネックの下8000mまで達した)

はじめ春先には 高度障害で頭痛に悩まされていたブログの記述があるのだが、
その後 連続的に 8000m峰に登っているので 常に高所順応済なのだろう。

(また痛ましいことに Shisha Pangma では同行者が行方不明とか)

ダウラギリは今年 8000m5峰目の挑戦

2007年
9月22日カトマンズを出発
9月23日ポカラからヘリでBC入り 以降BC滞在
10月3、4日C2下までいってBCへ戻る
10月7日 一度C1目指し登り始めるが雪崩でリターンBC
10月10日 再度 C1へ
10月12日 C3 設営
10月14日 山頂アタック 
10月15日 C1からBCへの途中 激しい雪で 途中 ビバーク
10月16日 BCに戻る。
10月18日 BCからヘリ、カトマンズ到着、2日間滞在後、帰国予定

10月19日 DodoのWEBサイトに山頂アタック時の写真が公開されていました。
http://www.himalaya2007.expedition.sk/3/index.php?page=fotogaleria



http://www.himalaya2007.expedition.sk/

2007年 Dodo KOPOLDの ブログの日本語訳
(注意 ここでの C1 C2の位置は 徳島隊のとは異なっているようだ。)
---------------------------------------------------------
現時点では
DODO KOPOLD 、HONG BIN, KIM 、登頂したかどうか
更にFredrik Ericssonだけが登頂成功したかどうかなど よくわかりません。

結局 山頂手前の 偽ピークまで到達したようでした。
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11月14日

フレドリック、キム(韓国)、キムの2人のクライミングシェルパと共に、私た
ちはダウラギリのサミットに到達しようとしました。

深雪を4日間登攀したの後に、私たちは続けるのが危険と感じたポイントに来
ました。 雪崩のリスクは非常に大きく、我々は多分ダウラギリのサミット尾
根の8000m上のどこかであるということでした。 私たちは吹雪と雪崩危険のた
めに3日間かけてベースキャンプに降りました。
とにかく、私たちは同じくらい高く登ったのがうれしいです。

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10月17日 Dodoのブログ から 

「10月16日 (昨日)、私たちには、それは非常に難しかったです。 私たち
は夕方に 濡れて、疲れていた状態でBCに戻りました。 風当たりが強く、多
くの新雪があって、視界は悪かったです。 C1からの道のりは私たちには時間
がかかりました。 私たちは凍傷なしで問題ありません。

全体的に、登頂は 多くの雪のために非常に難しかったです。 ダウラギリ山
頂からスキー滑降を目指していたスウェーデン人フレディックエリクソンと、2
人のシェルパアシスタントをしたがえている 手に障害のある韓国人の登山
家と 私たちは一緒に登りました。

私たちは山頂への尾根を登りましたが、ポールがあって、より高いものは何も
なかったように思えた場所で、 私はポールの写真を撮りました。 シェルパが、
これがサミットであると言ったので、韓国人もそうしました。

Fredrikは、私たちがサミットにいるかどうかを疑いました。

Fredrikは、続けていこうとしましたが、すぐに取って戻ってスキーでダウン
ヒルをしました。彼は首尾良くBCについて BCを離れました。 私たちはそれ
以上 彼に会いませんでした。

私たちは、あえて私たちがサミットについたかどうかを言いません。
私たちの腕時計は8.076mを示しましたが、それは本当に適切ではありません。
私たちは、それがサミットであったかどうかはっきりさせなければなりません、
そして、あなたに知らせるつもりです。
私たちは今日BCを立ち去らなければなりませんでした。しかし あまりに多量
の雪があって、私たちのポーターは来ませんでした。あまりに多量の雪がフレ
ンチパスにあります。 たぶん、私たちは明日ヘリコプターで行くつもりです、
そして、この場合、明日か明後日、カトマンズにいるでしょう。」

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10月16日

「2007年10月16日 Dodo のブログから

BCに戻りました。
私たちはBCにいて、すべてが問題ありません、疲れています。

詳細は後で。 」

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10月15日
私たちはC1から下降しています。 大雪が降っていて、したがって、歩きにく
い、私たちは疲れています。

今日、BCまで行きたかったのですが、私たちは行く道を見つけることができま
せん。 私たちは、ビバークして、明日、続けて降りるつもりです。 私たちは
BCから更に書くつもりです。

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10月14日 
本日 山頂アタック。8157mまで

「私がコックから電話によると、DodoとKingaは8157mに達して、Camp IIに戻
りました。」 このメッセージは別のチームによってBCに送られました。
「私の推測では、、明日午後BC到着、」
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2007年10月14日
「今日のサミットの試み
私たちには、DodoかKingaからの少しのニュースもありませんが、私はPasang
からそれらの世話をしているシェルパAdventure Travelからメールを受け取り
ました:

「私は今朝Dodoのコックと話しました、そして、Dodo、Kinga、および別の
チームは今日、サミットのための2日前のキャンプ3を設置しました。」 私は
遠征の成功を願っています。
「私たちは、ポーターをBCに送って、10月16日にBCに達して、17日の朝、
BCから戻るつもりです。」

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10月9日

「今日は予測と違って 本当に良い日であった。晴れた空、雪崩もない。 そし
て、私たちはBCで過ごしました。
明朝、水曜日に私たちは再びC1に行くつもりです、そして、よければ、さらに
上へ 行こうとするでしょう。」

10月8日
私たちは再び戻っています。大きい雪崩が私たちの行く手へ落ちてきたとき c
ca 5100mで 戻りました。 幸い、私たちは(雪崩の)中にいませんでし
た。 また、最初の雪崩の後に、2番目の雪崩がありました。私たちはBCをより
早く出発しなくて幸運でした。

現在 だれもC1にはいません。1.5m の新雪に埋まったテントだけです。 フラ
ンス人は それらの2回の雪崩の間を何とかBCまで下りました。 運がいい人だ。
さしあたり、BCに戻ってみて、私たちのスタッフと一緒なのは幸せだに思えま
す。
出発している遠征のためのポーターがまだ来ていなかったのでBCへの道は さ
しあたり最も良くないように思えます。
私たちには、数日しかありません。 多分、状態は、より良くなるでしょう。
そして、私たちには、別のチャンスがあるでしょう」

10月7日
「天気は最も良くはありません。 雪が降り過ぎるというわけではありませんが、
私たちは雪崩の音を聞くことができます。

フランス人は彼らの出発に関するメッセージをC1から私たちに送ってきました。
私たちは彼らがBCまでか帰途につこうとかまでは知りません。
私たちは月曜日に再び上がりたいと思います。 コックがBCに退屈し始めるの
に応じて、C1にスキーを持っている1人のスウェーデン人と私たちと たぶん
私たちのコックも一緒に行くでしょう。
私たちは、状態が向上するまでC1に滞在するのを計画しています。 たぶん、
私の電話に関する問題があり、私は数日間、メッセージを送るつもりはありま
せん。 」

10月4日

「C2の下で終わった試み--補足 COMPLEMENT」

「私たちはフランス人、オランダ人、およびオーストリア人と共に昨日4時
頃にBCを、出発しました。 多くの雪があるので、私たちは C1への道のり
に 9時間以上かかりました。

私たちは昨日 午後にC1に達しました。

私たちは今朝、C2を他のものと一緒に出発しました。
とても多量の雪があるので、2人のチームでは登り続けるかいがありません。
私たちには非常に良く感じましたが、 残念ながら、C2の下のどこかで雪が
降り始めました、そして、視界は悪化しました。

私たち全員(全員)は、C1に
リターンして戻ると決めました。 そのなかで私たち2人はBCまで戻って、他
のものはC1に滞在しました。 今後の天気は何日間かは、よくありません。
天気予報は曇天と降水をアナウンスしています。
私たちは すばらしく感じます。 私たちは、しばらく いい状態になるの
を待ってから、再び上がるでしょう。」


10月2日 Dodo KOPOLD ブログの日本語訳

「6日間の大雪の後に、遂に晴れました。 私たちはもう雪崩を聞きません。
多くの新雪があり、山の状態は悪化しました。

しかし、今日それは希望に満ちているように見えます、そして、、私たちは
4時頃に明朝、フランス人と共にC1(5.500m)に行くつもりです。 それはBCか
ら私たちはcca(c1? ABC ? )まで 7時間かかるでしょう。

そこで、私たちが、何をしたらよいかを決めるつもりです。

既に、晴れて暑い1日の間では、夜は寒いです。 最後の数日が非常に寒かっ
たので、私のソーラー・パネルは凍りました、そして、私たちはバッテリー
によるフランス人の助けを必要としました。
大いに雪が降りました、そして、すべてが覆われたupthereです、そして、
彼らが、山に既にいくつかのデポを残している人々はそれらを見つけられる
か恐れています。 すべての固定ロープが雪の下に埋まっているとして、日
本の遠征隊は出発を考えています。」

DODO KOPOLD 経歴

1980年生まれ。
スロバキア 国家の代表チームのメンバー。
スロバキアのMountaineering Unionから「銀のcarabiner2002、2003、2004」「Gold carabiner2005、2006」など多数の表彰を受賞。
著書「最初のHimalayaでの登高 」

2002:
Miyar Valley, Himachal Pradesh, Castle Peak, new route, capsule style, “SHARP KNIFE OF TOLERANCE”, VI 5.12a A3, 550m

2003:
Miyar Valley, Himachal Pradesh, Mount Mahindra, new route, alpine style, “LAST MINUTE JOURNEY”, ED1, 900, 900m

2004:
Karakorum, Shipton Spire 5900m, first repetition, alpine style, “KHANADAN BUTTRESS”, VI 7+ A1, 1.200m

2005:
Karakorum, Great Trango, new route, alpine style, “ASSALAM ALAIKUM”, VII 8 A2 ABO, 90 pitches (more than 3.000m)

2006:
Patagonia, Cerro Torre, 100m below the summit
Karakorum, Hainabrakk 5800m, new route, alpine style, “DOLZAG DIHEDRAL”, VI/6 , 1000m
Karakorum, Uli Biaho Tower 6109m, new route, alpine style, “DRASTISSIMA”, VI/6 ABO, 1800m

2007:
Himalaya, Cho Oyu - summit, Shisha Pangma - summit, Nanga Parbat - summit
Karakorum, K2 - 8000 meters



●KINGA BARANOWSKA (女性)ポーランド

http://www.kingabaranowska.com/

http://wyprawy.onet.pl/30169,472,1439524,ekspedycja.html


2003 Cho Oyu (8201 m)
2006 Broad Peak'a (8047 m)
2007 Nanga Parbat (8125 m)

Dodo と一緒のチームメンバー Nanga Parbatに2007年7月登頂
10月5日付のの彼女のブログ(ポーランド語)によると 
C1 付近では 韓国隊のテント以外の各隊すべてのテントは 
雪の深さ 1.5-2m位下にあるようだ。

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キム ホング ビン (HONG BIN, KIM)


韓国 登山家 キム ホング ビン さんのサイト。

http://www.kimhongbin.com/main.html


最新情報 2007年11月7日 
ダウラギリT峰 の写真公開
キムホンビン氏の写真を見ると 凄い積雪だったようですね。

「暴雪 2mの雪が降った日...
登山中 5m 程度の雪が降った.」

http://hongbik.com.ne.kr/album/


2007/10/31
既に 2008年の予定 ハンディーを感じさせない活躍ぶりだ。
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予定
2008 マカルー(8,463m) ボムシズン登山
2008ガッシャブルムT(8,068m)夏シーズン登山
2008 チョ・オユー(8,201m) 秋シーズン登山
2008 南極大陸最高峰ビンソンマシフ (4,897m) 冬シーズン

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2007ダウラギリ秋 かなり厳しい 下山だったのでしょう。

KIM HONG BIN,  掲示板 皆さん激励おかげさまで無事に.... 作成日: 2007/10/20 作成者: ギムホングビン 「寒さと多くの積雪量で BCですべての荷置いて一人だけダルンティムヘリで カトマンドで 18日脱出成功.... 4日間水の外に食べることができなかった関係で現在体はよくなっています. ポーターたちが上って来ることができなくて 25日まで BC荷物が撤収が可能だ ろうかは分からないが, 25日大韓航空で帰国予定です. ヘヘ^^ 心配キチォドリョ申し訳ありません. お腹がすきます~~~~~」


「キムさん(HONG BIN, KIM)は
9月24日からC1にあがり 30日BC
再度上がって 10月5日にBCへ
10月10日  は再々度C1に上がりました。
やはりテントが潰れていたようです。
10月13日山頂へアタックの予定。
10月14日山頂手前まで
10月16日 BCへ
10月18日 ヘリで脱出 カトマンズへ 
10月26日 韓国帰着」


91年の事故でのハンディキャップを感じさせない 驚くべき活躍ぶりです。
ことにハンディーを負ってからの彼の活躍を見ると 
人間が山に登るのに 一番大事なものは 一体 何だろうかとか 深く考えさせられます。

今後の ますますの ご活躍 と幸運を 祈念します。

以下 サイトから凄い経歴をみてみました。
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キム ホング ビン (HONG BIN, KIM)
64年 10月 17日生まれ旧暦 (O型)

2007 ダウラギリ(8,167m) 8月 30日出国
2007 南極大陸最高峰ビンソンマシフ (4,897m) 冬シーズン
2007 ダウラギリ発起式 8月 28日火曜日夕方7時
光州鉱泉ターミナル後明日新聞3階


世界7大陸最高峰登山中...
8000m級 14座 登山中...
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キム ホング ビン (HONG BIN, KIM)
64年 10月 17日生まれ旧暦 (O型)
KIM HONG BIN,  登山経歴

64年 10月 17日生まれ旧暦 (O型)

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登山
83年光州ソンウォン大学山嶽会
84年光州.全南岩壁大会 2位入賞
84年全国山登り大会 3位
88年雪岳山土用幅登山
89年冬季エベレスト(8,848m) 登山
90年パキスタン ナンガパルバット(8,125m) 登山
91年北米マッキンリ(6,194m)単独登山の中で事故で両手切断
97年日本立山(3,015m) 登山
97年ヨーロッパ エルブース(5,633m) 登頂
97年 アフリカ キリマンジャロ(5,895m) 登頂
98年南米アコンカグア (6,962m) 登頂
98年北米マッキンリ (6,194m) 登頂
99年南米アコンカグア (6,962m)・ セルトレ(3,128m) 登山大将
99年キルギスタン レーニンピーク(7,134m)登山
00年マナスル(8,163m) 8,063m 到達
00年エベレスト(8,848m) 登山
01年白頭山(2,744m) 1月 1日来光登山
01年アルパインクライマー上月刊人科山
01年今年の山岳である受賞韓国大学山岳連盟
02年北米 マッキンリ (6,194m) 登頂
02年アフリカ キリマンジャロ(5,895m) 登頂
03年キルギスタン レーニンピーク(7,134m) 登頂
05年中国 コースクロック(7,028m) 未踏峰登山
06年ガッシャブルム1峰(8,068m)登山, ガッシャブルム2峰(8,035m) 登頂
06年シシャパンマ南壁(8,027m) 登頂
07年エベレスト(8,848m) 登頂
07年オーストラリア大陸 コジウスコ (2,228m) 登頂
07年ネパールダウラギリ(8,167m) 登山

現在 ソンウォン大学山嶽会 O.B

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スキー
89/91全国体育典ノルディックスキークロスカントリー, バイアスロン 1,2,3位
95年全国体育典アルパイン大回転一般部 3位
00年全国体育典アルパイン回転スキー障害人足 2位
01年障害者福祉振興会杖配 1位
01年生活体育リーダー 3級資格取得
01年オーストリア FIS-IPCワールドカップアルパインスキー大会
02年アメリカソルトレイク冬季オリンピック
02年オーストリア FIS-IPCワールドカップアルパインスキー大会
02年ニュージーランドチァムピオンスィブアルパインスキー大会
03年オーストリア FIS-IPCワールドカップアルパインスキー大会
04年オーストリア IPC アルパインスキー選手権大会
04年第1回冬季障害者体育大会 1位
05年カナダ北米コップ大会
05年第2回冬季障害者体育大会 1位
05年オーストリアチロル IPC ユーロピアンコップ大会
06年平昌 IPC アルパインスキーワールドカップ大会
06年長野現価高には IPC アルパインスキーワールドカップ大会
私はアルパインスキー障害者国家代表選手
http://ksfd.com/main/main.asp
------------------------------------------------------
経歴

90年国際話題保険設計士
92年全盛起工電算室
93年 2種普通運転免許取得(1種普通返却)
94年クラブ900 ゴルフ場(掘削機, ペルーだ, 2.5tトレード, 7ギャングモア)
03年ハンソル建設(株)
05年スポレンド
現在エコーローバー広報理事
http://www.echoroba.com/
---------------------------------------------------
学歴

77年コフン郡東江面青松小学校卒業
80年宝城郡筏橋邑筏橋中学校卒業
83年順川市Maesan高校など学校卒業
85年ソンウォン大学卒業
90年光州大学校卒業
07年全南大学校経営専門大学院在学
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住所

光州広域市
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Fredrik Ericsson スウェーデン 


●Fredrik Ericsson スウェーデン スキーヤー

ダウラギリ山頂から初のスキーの滑降を目指す。
http://www.fredrikericsson.com/Default.aspx

2004 Shisha Pangma 中央峰(8012)からスキー
2005 Gasherbrum 2  (8035m)からスキー

(注意 ここでの C1 C2の位置は 徳島隊のとは異なっているようだ。)

動画あり

2007年10月3日 Cho Oyu では
アラスカ アンカレッジの3人のクライマー
Tyler Johnson, Rory Stark と Will Stark が山頂からスキー滑降した。
Rory と TylerはC1までスキーを外さなかった。


http://www.fredrikericsson.com/News.aspx


2007年10月17日

「雪、 雪 、雪、少しだけスキー」

「先週、天気が変化して、少しの日光がありました。私は、他の登山家5人、Dod
o(スロバキア)、Kinga(ポーランド)、キム(韓国)、およびキムのクライミング
シェルパ2人と共に、私はダウラギリのサミットに到達しようとしました。

深い雪の登攀を4日間した後に、私たちは続けるのが危険だと感じるポイント
に来ました。 雪崩の危険が非常に高かったのです。私たちは海抜7900mにいま
した。そこが私の最も長いスキー滑降の頂点(トップ)でした。 そこから 
大部分パウダースノーでベースキャンプまで高度差3000m以上をスキー滑降し
ました。 私がその晩 スキーを外す前に別の吹雪がやってきました。 私がカ
トマンズへの途中に 高度を下げていくと 雪は雨に変わっていきました。

私のコンピュータは調子が悪いので、、ダウラギリのスキーと新しい写真に関
するもっと詳しい情報は次回の更新で行います。」

10月6日 ブログ 日本語訳


「壊れたテントと、より多くの降雪」

「私はC1の4日間の訪問の後に再びベースキャンプに戻っています。 山頂へ
の私の望みはダウラギリへのさらなる降雪によって打ち砕かれれました。

火曜日にC1に到着して、私は白い雪の平坦な空き地を見つけました。 我々
の誰もがテントをなんら見ることができず、1組のスキー・チップだけが雪
を上につき出していました。 1.5メーターの新らたな雪は テントを覆って
いました。 それの場所を見つけるように位置を調べたあと、積雪を2時間の
間 雪堀した後に、私は、私のテントが打ちこわされているのがわかりまし
た。 ポールの1つは壊れてテントの側面の大きな穴があいていました。 ま
た、C1で掘り出された他の大部分のテントも壊れていました。

翌日は修理日です。針 糸、ダクトテープのロールで、テントを使えるよう
に直しました。 少しの休みなく午後に私は、短いスキーハイクにでかけ、
キャンプに向かって滑ってみて いくつかの回転をしました。

木曜日に、C2に達する試みをしました。 深雪を4時間かけてのトレイルをつ
けた後に、雲が すばやくやって来ました、そして、雪が降り始めました。
視界がなくなり、私たちはどこに行っているか見えないので、C1に戻ると
決めました。

金曜日も 良い天気でなく、朝 山を囲む暗い雲が正午までには 降雪に変
わりました。 不安定な天気に飽きていたし Budhi(随行者の人名)の食べ物
がほしいので、私は、BCに降りて戻ると決めました。

この秋は、私たち登山家にとっては簡単ではありません。 それは、山の青
空と日光は 私たちを おとり のように誘い出して やがて吹雪を私たち
の顔に吹きつけたりします。 登山家の多くが、今年、ダウラギリのサミッ
トへの彼らの望みをあきらめて、帰途についています。 日本のチームは何日
か前に離れました。そして、オランダ人、オーストリア人はポーターが彼ら
の装備をとりにくるのを待っています。
許可証の上では もう10日間を過せます。私はDodo(スロバキア 登山家)
から月曜日には高気圧がきて、それが数日間 いい天気をもたらすという天気
予報を聞いていますので、 月曜日の朝には、私が再びC1まで向かうことにな
ります。積雪条件 次第では ゆっくり山に登ります。 これが今年 ダウラギリ
山頂への 最後のチャンスになるでしょう。」



10月1日 ブログ 日本語訳

「6日間の降雪」

「ついにに太陽は6日間の降雪の後に再びダウラギリを照らしています。 雪
のシャベル作業から解放されコーヒー飲酒に変わりました、そして、視線は
サミットに向かっています。

天気で気分がどのように変化するか、信じられません。
太陽が照って幸福で満足であり、雪が降っていると 悲しい。 その前の週
に、私の気分はボールのように弾んで、ダウンしています。 10日間の良い
天気と良い高度順応させていて、すべてがすばらしく見えました。そして、
自己確信がトップにありましたが、 やがて、雪が降り始めました、そして、
数日間で どんな変化も去りました。 雪が私のテントを埋め尽くし、6日間
の後に降雪で、雪壁が囲み、絶え間なく積もってしまいました。ますます多
くが否定的になり、 山頂へ行くより どう谷へを出るか 考えました。

日曜の朝にダウラギリの北側リッジの上で青空と日光で目覚めました。 す
ぐさま私のムードは変化しました、そして、私は頂上へのプッシュへの計画
を練り始めました。 少しの太陽で何ができるかは、おもしろいことです。

明日、火曜日に、私は、オーストリア人 Andreasand、と Lawrence とオラ
ンダ人 Edvin 、トマスらとベースキャンプをでてCamp1までトライするつ
もりです。 私たちは固い雪の上を歩くことができるように朝早くでるつも
りです、そして、うまくいけば、暑くなる前にC1に達するでしょう。 韓国
人の登山家キムによると 昨日、C1のテントサイトはすべて雪で覆われてい
たとのことです。 したがって、私は、最後に訪れ建てた テントを探し 
多少掘って掘り出した後、もし条件と天気ががよければ、C2 C3に向かって
進み続けるつもりです。 金曜日の朝非常に早く、私は、スキーをbackpack
につけて、C3の私のテントを出て、Dhaulagiriのサミットに向かって登り始
めるでしょう。」

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Edwin Klerkx  Tomas van Hoek  オランダ人


●オランダ人

Edwin Klerkx  
Tomas van Hoek

http://www.7thsummit.nl/

ブログ http://7thsummit.blogspot.com/

(注意 ここでの C1 C2の位置は 徳島隊のとは異なっているようだ。)



10月9日
「登頂に成功する最後の試みをしましたが、私たちは先週末にBCに帰って来ました。
私たちは、、私たちのすべての装備をカトマンズに返す準備しなければなりません。」

10月1日

「明朝 10月2日 4時にBC発で上へ向かう
同行は (オランダ人2人の他に) 
スキーヤー フレディック(Fredrik )
オーストリア人 アンドレアと ローレンス
(Andreas and Lawrence)
幸い 高度順化は十分だ。 
天気予報も良好だが残された時間がない。 次の週 もし 状況が良ければ
 5-6日間で頂上へプッシュできるだろう。 ベースキャンプへいいニュース
を持ってこれるかもしれないが、 大事なことは安全に無傷で戻ってくるこ
とだ。」

9月30日

「 1週間の大雪の後 ついに 空が晴れて太陽が顔を出した。 フランス
チームがC1からベースキャンプに戻ってきた。 雪崩で冷や冷やしながら9時
間かかった。 4時間以上余計にかかった。 今朝 韓国人が2人のシェルパ
とベースに戻った。補給もなくC1で雪に閉じこめられていた。一日がかりで
おりてきた。
もし雪がふらなければ 上へ登れるが今日明日ではない。 山は大変危険で
 タフだ。雪崩で悪評高いアイガー壁は常に雪崩が落ちて いる。

タフなルートにフィックスロープは見つけられない。

我々のテントが見つかりますように、そして頂上へのプッシュに残された時
間がありますように。
読んだり 待ったり 考えたりしながら時間を過ごす。

フランスチームは楽しい人たちだ。 今晩は 彼らとともに過ごす。」

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ダウラギリ T峰 登山 2007春



Dhaulagiri. spring
ダウラギリ 2007 春 登頂者
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2007年4月26日登頂

Inaki Ochoa (イニャキ・オチョア(39))登頂
Jorge Egocheaga (ホルヘ・エゴチュアガ ) 登頂
http://www.navarra8000.com/
24-hours push.
Camp 2 (6700)から
Inakiは 8000m12番目.

Jorgeは下降中雪崩にあい その後ヘリで救出 
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2007年4月29日登頂

Josep Noguera (ホセプ・ノゲラ (36))登頂
Roger Sellent  (ロヘル・セリェント (35))登頂
(スペイン カタルニア)
http://www.telefonica.net/web2/dhaulagiri2007/index.htm

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2007年4月29日登頂

イタリア

ジャン・マオロ・カーザロット (51)登頂
クリスチーナ・カスターニャ (29)登頂
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2007年5月1日登頂

ホリア・コリアバサヌ  Horia Colibasanu (ルーマニア)登頂
http://www.alternativetm.ro/activitati/expeditii/dhaulagiri/index.php?modul=prez
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2007年5月1日登頂

ジョエル・ブルーバッヒャー(スイス)登頂
リヒャルト・プリル(ドイツ)登頂
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2007年5月1日登頂 カザフ 詳細

Mr. Sergey Samoilov (49 yrs), Kazakhstan登頂
Mrs. Svetlana Sharipova (37 yrs), Kazakhstan登頂
Mr. Yevgeniy Shutov (26 yrs), Kazakhstan登頂
Mr. Sinev Dmitry (34 yrs), Russian登頂

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2007年5月2日登頂 カザフ
 Denis Urubko (デニス・ウルブコ1973年生まれ)登頂 詳細

(スピード記録は救助活動で断念)
Mr. Denis Urubko (33 yrs), Kazakhstan (11峰/14峰8000m)

この後 2007年秋 K2 (North Ridge )登頂 (12/14座8000m)詳細

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以下 遭難 事故など
2007年5月1日
Urubko スピード記録は救助活動で断念
Boris Korshunov had caught night without tent below Camp 3,

スピード記録 Denis Urubkoはスピード記録樹立は諦めたが 1995年 17時間でBCからダウラ山頂へいってきた人がいる。 http://www.mounteverest.net/news.php?news=15923 http://www.explorersweb.com/news.php?id=15936 Kazakh Anatoly Bukreev, who covered the distance between BC and Dhaula summit in 17 hours and 15 minutes back in 1995.


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2007年5月13日
スペイン人2名 雪崩遭難行方不明

Santiago Sagaste
Ricardo Valencia.

http://www.dhaulagiri2007.com/noticiario/130507/not-1.htm
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2007年5月1日
Dhaulagiri.山頂 直前

イタリア人滑落 死亡 
Sergio Dalla Longa
http://www.mariomerelli.it/
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2007年4月30日

JorgeEgocheaga (ホルヘ・エゴチュアガ )は登頂後 下降中に雪崩にあい
氷河でビバーク クレバスに落ちる BCへ生還 その後 ヘリで救出
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ダウラギリ T峰 登山 2006年 春


2006年春は
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2006年5月3日

カザフの- Dhaulagiri/Annapurnaの ダブルヘッダー
Maxut Zhumayev マクスト・ジェマイエフ (1977年生まれ)登頂
Vassiliy Pivtsov ヴァシリー・ビフツォフ (1975年生まれ)登頂

ダウラギリに 続けて アンナプルナ登頂!

http://www.mounteverest.net/news.php?id=15409

2007年4月 エベレスト (チベット側から)登頂
(11峰/14峰)
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2006年5月17日

イタリア人
ロマーノ・ベネト登頂
ニヴェス・メロア登頂

ダウラギリの後 アンナプルナは敗退、 K2は登頂成功

http://www.nives.alpinizem.net/
http://www.nives.alpinizem.net/?ATTIVITA%27_HIMALAYANA:DHAULAGIRI_2006

2007年 エベレストは登頂 、マカルーは撤退
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2006年5月27日

ブルガリア

ゾルト・エロス登頂

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どちらを 見ても 山頂に見えるが。。。。

2006年5月17日

イタリア登山家ロマーノ・ベネト、ニヴェス・メロアのダウラギリ登頂の写真

2006年写真

2005年写真

どちらを 見ても 山頂に見えるが。。。。

 イタリア人ロマーノ・ベネトとニヴェス・メロアは2005年5月 の「登頂?」のあと、 2006年5月に再登し「完登」した

2007年5月のカザフ隊登頂の写真と記録


ダウラギリT峰 登頂者1998−2006

引用
The Himalayan Database Elizabeth Hawley Database created by Richard Salisbury


引用
The Himalayan Database Elizabeth Hawley Database created by Richard Salisbury





徳島ダウラギリ主峰登山隊2007

山遊なかよしカタツムリ


2007年10月8日 第1版制作
2007年11月7日 更新

http://www.lnt.org/

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